棟方志功紹介

棟方志功「女人観世音板画巻」

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棟方志功は戦前、「女人芸術」創刊号の扉を飾った岡本かの子の詩「女人ぼさつ」を読んで、女人にひそむ愛憐の詩として、この詩を長く愛誦し、昭和24年になってこの詩を題材に「女人観世音板画巻」8柵 棟方志功「仰向妃の柵」29.5×45 (題字などを加え12柵)を制作しました。
棟方志功にとってながい間あたためられてきたテーマでほとんど丸刀だけで制作、技法の上でも新天地を開いた作品です。昭和27年スイス・ルガノ版画展で優秀賞を受賞し、「世界のムナカタ」となるきっかけを成した代表作といえます。
この棟方志功の「女人観世音板画巻」は、その後晩年にいたるまで何度か摺られ、彩色されそれぞれその時代の棟方がもつ色彩の変化をよく示しています。

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棟方志功「観世音菩薩の柵」

当画廊ではこの作品を販売しております。お気軽にお問い合わせください。

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棟方志功について

棟方志功の世界へ

 ダイナミックな造形美、みなぎるばかりの生命力。「世界のムナカタ」と称される棟方志功の作品には、骨太で力強い「独創」の世界があります。
 その作品はどれも、誰が観ても棟方志功の作品だと分かるものです。尊敬してやまなかったゴッホにも通じる独創性。そして、観る者の心を揺さぶる力が作品に漲っています。
 また、色彩板画や肉筆画には、棟方志功の素晴らしい色彩感覚が存分に発揮されています。
 朱、赤、青、緑……と、その色彩感覚は鮮烈で、観る者の心を引き付けて離しません。
 棟方志功は、版画を「版」ではなく「板」と書いて「板画(はんが)」、肉筆画を「倭画(やまとえ)」と称しています。そして、作品名が「○○柵」なら「板画」、「○○図」なら「倭画」です。

棟方志功-倭画の世界-

 棟方志功の肉筆画は、細部まで丁寧に描かれておらず、太い線でささっと描かれただけです。しかし、対象の本質やイメージが観る者にしっかりと伝わるフォルムと色使いで描かれているため、描かれたものには、そこに生きているような生命力があるのです。
 棟方志功は、肉筆画を描くのも好きでした。特に油絵は好きだったようです。絵の具が飛び散るほど勢いよく筆を走らせています。
「肉筆画は筆が勝手に動き出す、油絵を描いているときが一番楽しい」と、棟方志功は語っています。

棟方志功-版画から「板画」へ-

 棟方志功も若い頃は、西洋画家を目指していました。しかし、極度の近眼で、絵に奥行きがでません。だからこそ、板画だったのです。棟方志功は決意します。
 棟方志功は「日本から生れた仕事がしたい。わたくしは、わたくしで始まる世界を持ちたいものだと、生意気に考えました」といっています。
 1942(昭和17)年、棟方志功は初めての随筆集『板散華』の後記において、自らの版画をすべて「板画」と呼ぶと宣言しました。そこには、板が生まれた性質を大事に扱わなければならない、木の魂をじかに生み出さなければならないという棟方志功の想いがこめられています。
 棟方志功は五十七歳のとき、左目を失明してしまいます。眼鏡が板に付くほど顔を近づけて、板画を彫っていたことはあまりにも有名です。棟方志功は生涯、ひたすら一途に制作に励み続けた人生でした。
 『この道より我を生かす道なし、この道をゆく(武者小路実篤)』……この言葉が棟方志功の座右の銘でした。
 「アイシテモ愛しきれない オドロイテモ驚ききれない ヨロコンデモ喜びきれないカナシンデモ悲しみきれない それが版画です」と、棟方志功は語っています。

棟方志功-世界のムナカタ-

 日本国内のみならず、海外でも棟方志功は高く評価されました。
 1952 (昭和27)年4月、スイスのルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞を受賞。 1955(昭和30)年には、サンパウロ・ビエンナーレに「釈迦十大弟子」などを出品し、版画部門の最高賞を受賞しました。
 1956(昭和31)年にはヴェニス・ビエンナーレでは「柳緑花紅頌」などを出品し、国際版画大賞(グランプリ)を受賞するなど、棟方作品は海外でいち早く評価されました。
 その後、棟方志功は1959年にジャパン・ソサエティとロックフェラー財団の招きにより初めて渡米し、続いて1965年、1967年、1974年と生涯で4度渡米しています。
現在、海外においても棟方志功の人気は非常に高く、コレクターも多数います。「世界のムナカタ」は、間違いなく世界的に確固たる地位を築き上げているアーティストなのです。

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