新室の柵 身沁の柵
「炫火頌は、ふらふらと天にとびまわているような思い、あたかも天人の羽衣でもつけて、思う存分遊びたわむれている、天上に遊ばせてもらっているという思いで出来ました。」(『板画の道』昭和31年)
昭和9(1934)年頃から交友のあった文芸評論家保田與重郎(1910~81)の短歌を元にした作品になります。しかしながら、棟方志功がこれを「板画巻物」と呼んでいる仕事(一人の作家の詩・俳句・短歌などを連作板画にする、戦後間もなくからの仕事)の中で、この作品群は特異な位置を占めています。つまり、一時期に制作されたのではなく、昭和23年の2柵を皮切りに断続的に昭和47年頃まで作り続けられているのです。最終的に50柵をめざしたと棟方志功は言っていますが、本当のところ何点制作されたのかは不明です。(現在33柵が確認されています。)長年にわたって作り続けられてきた作品だけに、大きさも不揃いで、画面も縦だったり横だったりと様々ですが保田氏が著書の中で、こう評しています。「一度にまとめて作ったものではない。であるから私の歌にふれた作品は、彼の各時代の手法が現れていて、作品年譜をみるようで、またおもしろい」(『グッドバイ棟方志功』昭和51年)
「炫火」という言葉は作品中の「うつそみは炎となりぬ炫火の炎と燃えて魂氷るなり」からとられており、光り輝くという意味であるとされています。また別説に『万葉集』の中で柿本人麻呂の歌の中にも登場し、大和地方では日の出前の幻想的な自然現象とする説もあります。
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